シピボ族の人々

シピボ族の人々-アマゾン屋 - アマゾン・シピボ族の泥染め
目次
シピボ族の人々-アマゾン屋 - アマゾン・シピボ族の泥染め

シピボ族の暮らしと人々

1997年、始めての訪問の際、森の先住民の暮らしはとても素朴でした。朝陽とともに始まり、暗くなってきたら仕事は終えて、満天の星空を眺めて語らい、蚊帳に入って眠りにつきます。
ろうそくの灯りがやさしい、必要なものだけがある、あたりまえの生活。

電気があるから夜も人は働く。人が働くから電気がある。 陽が沈んだら、暗くて何もできないから仕事はおわり、眠るしかない。
朝、明るくなってきたら自然に目が覚めて働き始める。

電気がない方が、人間らしい暮らしができるような、そんな気がすることがあります。

原始的にも見えるシピボ族の生活に衝撃を受けながら、すっかり忘れていた大切なことを、ひとつひとつ思い出しました。
そしてそのあと20年の間に、町に近いサンフランシスコ集落のシピボ族の生活は、どんどん変化していきます。私はそれをじっと見守ってきたのでした。

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地理

南米ペルーというと、アンデス山岳地帯の世界遺産、マチュピチュ遺跡が有名ですが、実はペルーの国土の60%以上がアマゾン地帯に属しています。アマゾン河流域にはペルー全体で約30万人、60部族もの先住民が暮らしています。
シピボ族(シピボ・コニーボ族)はそのうちの一部族で, ウカヤリ川流域にいくつもの集落が点在し、その中でも泥染めの布を工芸品として作り続けているのが、町からほど近いサンフランシスコ集落のシピボ族の女性たちです。

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シピボ族を訪ねるための拠点となるのは「プカルパ」という都市です。首都リマから飛行機で約45分、陸路長距離バスなら海岸部から内陸に入りアンデスを超えて約24時間。
シピボ族の村へは、ヤリナ港からエンジン付きのボートで約1時間、乾季ならば乗り合いタクシーで森の中を通って村まで行くことができます。町から森へ入っていく赤土の道は雨季には陥没するものの、道の舗装は年々改善されています。町と森の間の道中にはメスチソの不法占拠や牧地への開拓が広がりつつあります。プカルパ市郊外にはホームセンターやショッピングモールが建設されるなどの発展があり、先住民集落における暮らしとの格差に少し違和感を感じます。

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なんにもない暮らし

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都市から離れ、広大な川のさらに上流域から支流に入れば、自然に囲まれた小さなシピボ族集落が点在し、水道や電気がない地域がほとんどです。奥地に住むということは、町まで遠くて簡単にはアクセスできないため、自給自足は必要不可欠です。原始的ではあっても、金銭を使わずに、田畑で主食を作り獣を狩り魚を捕り、今も川の水を直接の飲み水としていて、なんの不自由もなく自力で幸せに暮らしています。そんなシンプルな暮らしが、とても豊かに感じられます。
「ない」ということが当たり前で、便利なものを知らずにすめば、不満に思うこともありません。
一方、都市に近い先住民集落の人々は、急激に文明と接し便利なものを次から次へと取り入れようとし、物欲に囚われ、なんでも金銭で買うことに慣れてしまい、自力で食糧を生産する努力がおろそかになっているように思えます。それは我々日本人も同じ道を辿ってきたのかもしれません。

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宗教

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サンフランシスコ集落という名前は、100年以上前にカトリックの宣教師が入植した際につけられたもので、女性の派手なブラウスなど民族衣装も裸だった先住民に着衣を教えたのは宣教師による影響と考えられます。この集落ではカトリックが浸透しましたが、その後様々な宗教が入り、現在は集落の中心にプロテスタントの教会が建ち、その他の宗教も入っています。それでも実は先住民の人々の中にはもともと自然崇拝が染み付いているようで土着信仰が強いのかもしれません。

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食生活

シピボ族の人々-アマゾン屋 - アマゾン・シピボ族の泥染め近年は集落に水のタンクが設置され、庭に水道が引かれている家が多く、朝と夕方の決まった時間だけ水道水を使うことができるのでその間にいくつものバケツに水を貯めておきます。それまでは井戸でバケツに何杯も水を汲んで運んでこなければならず、子供達の仕事でしたが、毎朝、何度も井戸を往復するのは大変なことでした。バケツの水は調理用、食器を洗う用、洗濯用、水浴び用の全てです。
町でガスを買ってくる人もいますが、基本的には薪を拾ってきて庭のどこかで焚き木をし炭火で食事の支度をします。米も食べますが、基本は朝も昼も夜もバナナは必須で、未熟な青いバナナは甘さがなく芋のような感覚で煮たリ焼いたり揚げたりして主食にします。完熟して柔らかくなった甘いバナナは煮潰して飲み物にします。ピラニアや小魚などは近くでもとれますが、野菜や米、油、魚、主食となるバナナまで、最近は頻繁に町へ買いものに出なければならず、環境が変化したことで、自給自足が成り立たなくなっています。
今は禁漁となっている巨大魚パイチェや、食用の大きい亀が、食べ切れないくらい捕れて、人を集め分け合って食べたという昔話はまるで夢のようで、豊かだった暮らしが、今は少し寂しいものになっています。

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電気のある暮らしへ

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97年の訪問では電気がなく、ろうそくの灯りで過ごすことはロマンチックでもあり、暗い中では何もできないことも知りました。シピボ族のパートナーが、よくヘッドライトを欲しがり「電気があれば暗くなってからも、もっとたくさん手刺繍の仕事ができるのに」と言っていました。仕事をすればするほどお金が増えるのだから、もっと仕事をしたくなるのでしょう。
冷蔵庫がないので食品は消費する分を一度に食べきってしまい、食糧を保存する習慣はありませんでした。最初のうちは携帯電話やカメラの充電ができずに滞在中は困りましたが、数年後には集落にも電気が普及し、夜には窓ガラスもない家にも薄暗い蛍光灯の灯りがついて、テレビを見る家も増えました。昔から何も変わらない家もあります。多くの人が携帯電話を持つことで、遠隔での情報交換が可能になり、それまでと比べて途方もなく便利になりました。

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高床式の住居

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アマゾン地域では高床式の木造建築がほとんどで、屋根にはシェボンという椰子の葉を重ねて作られます。近年は建築材の材木も屋根ぶき用の椰子の葉も近くでは手に入りにくく、高価になったため、定期的な建て替えが困難になってきました。少しでも安くできないかと、屋根材をトタンに変えたことがありましたが、灼熱の太陽にトタン屋根では熱が篭ってしまいその暑さに耐えがたいと分かり、再び自然素材の椰子の葉の屋根に戻ったのでした。都市に近い地域ではトタン屋根が目立ち始めています。

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想いを未来へつなげたい

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文明化が進むにつれてシピボ族の暮らしはすっかり様変わりし、伝統工芸の技を引き継げる者が少なくなってきました。この貴重な人類の資産を未来に継承していくために、私たちに何ができるでしょうか? 生活に困っていた彼らの生活をどうにかして支えたい、この素晴らしい伝統工芸を絶やさずに作り続けてほしい、という気持ちだけで、彼らに代わって泥染めを広く伝え販売する作業を始めました。せめて彼らが安心して泥染めづくりを続けていけるようにと、いつも祈っています。